韓国に帰る飛行機が出発する時間は午前十一時五十分、僕が起きた時間は六時。ちょっとゆっくりしても大丈夫ではないかなと思いながら荷物を再び片付けました。朝食を提供してくれるホテルに泊まっていて最後の朝ご飯は何にしようかな考えずにチェックアウトしたのは凄く楽な感じ。
南海線の電車に乗って関西空港に行きました。難波で電車に乗った時間は八時頃、駅は出勤している方が多くて,ちょっと怖かったです。逆に関西空港に行く電車に乗る乗客の数は少ないんじゅないかなと思いましたが、空港に近くになればなるほど電車の中は学校に行っている生徒たちばかり。僕の予想は外れました。
空港は暇でした。営業している店も少ない、働いている方の顔も皆退屈な顔でした。暇すぎだったし静かすぎだったし電気を節約するためかチェックインする所も結構暗くって空港はゴーストタウンみたいです。
以前韓国に帰る時と違ったのは出国手続き。日本に帰るつもりかときかれて戻りませんと答えました。僕の答えで審査官は一枚の書類を出して見せてくれました。その書類の名称はちゃんと覚えられないですが僕が次に日本に入国する時には再び新しいビザを申し込むことを確かめる確認書でした。記入しながらコロナ事態が終わらないと帰ることはできないと思ってちょっと寂しかったです。
搭乗ゲートにある店のほとんども営業していなかったです。営業している免税店の中を見ても回っているお客さんは全然見えなかったです。僕は直ぐゲートの前の所に行って本を読みながら時間を過ごしました。
ゲートと入国審査する所の間に以前見たことない施設がありました。症状がある方とない方を分ける所と症状がある方に対してPCR検査をするブースがありました。僕は症状がなかったので飛行機で作成した特別検疫申告書と健康状態質問書を提出する所に行きました。そこの担当者は僕が作成した特別検疫申告書と健康状態質問書を確認した後で自家隔離者安全保護アプリをスマホに設置することを手伝ってくれました。設置した後で入国審査を受けました。
入国審査は簡単でした。韓国人ですから当然だと思いました。出口で待っている方達は入国者が他の所に行かなくて直接的に二週間隔離する所まで行けるように手伝う担当者達でした。一般的なバスとタクシーに乗るのは禁止でした。電車に乗るのもダメでした。政府と自治体が揃えて置いた特別編成バスと自分の車を利用して隔離する所まで行くべきでした。僕の場合は、僕の姉が僕の車を運転して持って来て駐車場に残して自分の家にバスに乗って帰りました。姉としてはめんどくさい事でしたが、ほかの方法がなかったんです。
家について担当者に再び電話して到着したと報告しました。僕の担当者が変わったと言われて設置したアプリを消して再び同じアプリを設置しなきゃならなかったんです。再び僕の名前、電話番号、住所などの個人情報と担当者方のアイディーを入力しました。
担当者は電話でアプリの使い方を再び教えてくれました。そして、毎日午前九時、午後三時、二回自己診断して報告するべきだと案内してくれました。ちなみに、次に日朝市内にある保健センタを訪ねてPCR検査を受けることだと言われました。
午前10時頃保健センターに着きました。保健センタの後ろにある駐車場でPCR検査のための施設がありました。三人の担当者待っていました。皆防護服を着用していましたので誰が看護師か医者さんか全然わからなかったんです。検査を受けるために待っている方は全然いなかったんです。検査を受けました。細いストローみたいな物を二つ使って短いものは口に入れて引いて長いものは鼻の穴に入れて引いて検出しました。鼻の穴に入れるものはけっこう深く入って気持ちが悪かったです。それで終わりでした。
午後2時頃僕の担当者が家に来ました。彼女は僕に隔離通知書を渡しました。僕が隔離するのは十月二日午後12時までだと書いてありました。その後、マスク、手消毒剤などの防疫用品と特別なゴミ箱をもらいました。僕のゴミはコロナウイルスに汚染されている可能性がありますから別のゴミ箱を使用するべきだと言われました。彼女三日後インスタントラーメンなどの食料品が着く予定だと言ってくれました。
次の日の朝、担当者からの電話が来ました。検査の結果は陰性でした。良かったなと思いました。帰国する前に比較的によく出掛けて友達と一緒にご飯を食べたりビールを飲んだりしていてちょっと心配でした。
大変だったがやっと来た!
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